歴史

享保5年(1720)仁平正次

神道裁許状

江戸時代、神職の資格は京都の吉田家(吉田神社)から授与されていました。吉田家の祖は、古代より祭祀を司る卜部氏で、幕府より「神祇管領長上」称号をいただき、全国の神社に神様の位を、神職に資格を与えていました。

最初の画像は、石井神社(石井大明神)の神主、仁平正次が享保5年(1720)に与えられた「神道裁許状」です。また以下に残存するものを載せています。

これ以前のものは、焼失してしまい不明ですが、長い歴史の間、仁平家が神主を務めていたことがわかります。


石井神社 歴代神主

享保5年(1720)頃 仁平正次(裁許状の日付)

宝暦2年(1752)頃 仁平正明(裁許状の日付)

享和3年(1803)頃 仁平正全(裁許状の日付)

嘉永6年(1853)頃 仁平正隆(裁許状の日付)

慶應元年(1865)頃 仁平正齋(裁許状の日付)

明治6年(1873) 仁平正濟(県の辞令日)※上記正齋と同一人物

明治頃~     仁平正義

昭和12年(1937)仁平 進(宮司就任日)

昭和37年(1962)仁平正晴(宮司就任日)

※記録でわかっている分だけを列記しています。中抜けなどがあるかもしれません。

宝暦2年(1752)仁平正明

享和3年 仁平正全

(書き下しをしておきます)

常陸國茨城郡古町村「石井大明神」の神主「仁平飛騨守(ひだのかみ)藤原正全」風折烏帽子(かざおれえぼし)、狩衣(かりぎぬ)を着ること先例に任(まか)す。専ら(もっぱ)社職格式を守り、抽(ひ)いて精祈すべきもの也。

神道裁許状件(くだん)の如し。

  享和三年閏(うるう)正月二十六日

 神祇官領長上正三位侍従

卜部朝臣良連

嘉永6年(1853)仁平正隆

慶應元年(1865)仁平正齋

明治6年(1873)仁平正濟

明治に入り国(茨城県)から辞令をもらっています

神社の歴史年表(更新中)

不詳  石井神社 創始

大同2年(807) 石井神社社殿を再建

寛保年間(1740)頃 槻(欅)の大鳥居を造営 ・・・仁平正義記録

延享2年(1745) 石井神社本縁を記録 ・・・大常令ニ宮参河守日奉茂直

天明年間(1780)頃 石井の大火災にて社殿を焼失

天明8年(1788) 社殿を再建 ・・・仁平正晴口伝・拝殿の大絵馬記載

寛政元年(1789) 鳥居に墨書きされる ・・・鳥居から発見

寛政3年(1791) 本殿・拝殿の造営 ・・・仁平正義記録

明治6年(1873) 村社と定められる

明治34年(1901) 欅の大鳥居を建立 ・・・仁平正義記録・鳥居に墨書きあり

 拝殿を建替え

昭和53年(1978) 石井神社社務所を建設

昭和62年(1987) 天王塚社を建立

平成29年(2017) 鉄製の大鳥居建設開始 ←現在