おかげさまで境内諸整備も完了し、記念大祭を行うことができました
関係各位に感謝申上げます
境内整備前の石井神社
石井神社 境内整備記念大祭 平成30年6月3日
午前9時より記念大祭 総代、来賓らが参列し斎行される
正午より奉祝 芸能奉納 はじめに下赤沢民俗芸能保存会による「源太おどり」(城里町指定無形文化財)
続いて茨城町で練習している大木くんによる小鶴ばやし保存会「ひょっとこ」の披露
大輝とまゆみによる歌謡ショー
お祭りにかけつけた山口伸樹笠間市長からもお祝いの挨拶をいただきました
そしてメインイベント
椿鬼奴さん、グランジの佐藤大さん、吉田大吾さん(POISON GIRL BAND)によるお笑いトークライブ
神社は爆笑の渦に、お祭りを盛り上げていただきました
境内整備工事の報告
行われた整備事業工事の状況について、写真とともに報告させていただきます。
6月17日(土) 鳥居の撤去作業及び記念碑の移動、樹木の整理など
工事に先立ち、今後行われる鳥居の撤去作業と防火用水槽の撤去の工事安全祈願祭を齋行
その後工事箇所に移動してそれぞれのお祓いをしました
総代さんの会社でいろいろな重機を持っているので、社員さんや仲間の皆さん、ご関係の方々とともに作業を開始しました
総代さんたちもその補助でいろいろと作業をお手伝い
本当にありがたいことです
まずは2つの旗竿のポールをはずす作業です
続いて鳥居の撤去作業、まずは扁額をはずします
降ろしてみると枠の部分がだいぶ朽ちていました。新しく作るか、枠だけ作りかえるかをこれから検討です。しばらく拝殿においておきます。
鳥居を重機2台で釣りながら、両部鳥居の両側の部分をはずしてから、ついに鳥居が倒れます(その動画はfacebookにアップしています)
島木の下の部分から請負人など様々な芳名が出てきて一同びっくり
島木をはめ込むところに、発起人や大工など関係者の名を墨書きしてあったんですね
中には総代の祖父の名前などもありました
後ほどきれいにして神社に飾ることにしました
鳥居の一番上の部分の両サイドの盛りあがって反るところ(笠木の反増と言われる部分)です。釘を使わない大工さんの技術が垣間見られます。凸凹をはめて横にずらすととれなくなる作りになっています。おそらく造ったときには滑車で吊って、上からはめ込み、木槌で叩き入れたんでしょうね。
他にもさまざまな匠の技が施されており、みんなで驚きとともに勉強させてもらいました
鳥居を倒した後、境内の青空の下、工事関係者と総代らでお昼ご飯
午後からは後片付けや運搬、そして樹木や記念碑の移動をしました
これでお参りする場所から授与所や社務所が見えるようになりました(これまでは樹木で隠れていましたので)
作業が終了しました
鳥居のない神社、広くなりました。でもなんかさみしいですね。
鳥居の完成が待ち遠しいです。
ここで紹介した扁額や鳥居の部品などは神社においてあります。ご覧になりたい方は社務所にお声掛け下さい。
使えそうな材は製材して何かに使う予定です。残りの部分はご奉納の記念品につくり変えます
鳥居の初くぐり・参道渡り初め記念式典
平成29年11月15日(水)石井神社例大祭に合わせて、鳥居や参道などが竣功しました
当日は市長や市議会議員、地元団体、施工業者などと、総代、市民らが見守る中式典を齋行、例大祭では鳥居の竣功などを大神様に奉告しました
鳥居は神社のシンボル、玄関口ですから立派になって、訪れる参拝者も増えてきています
鳥居は以前と同じ大きさですが、基礎が上がったのと、屋根の広がりが大きくなっています
鉄製の鳥居は唐紅(からくれない)色に塗装されています
古くは禁色とされた一番濃い赤色とでもいいいましょうか、昔は染料が貴重でしたから禁止されていたこともあります
時代が違いますので禁止されてはいませんが、長い歴史を有する石井神社、本殿も江戸時代のものですので、明るい赤よりも重みのある重厚な色を選びました
鉄製ですから地震がきても安心ですね
屋根は大工さんがかっこよく作ってくれました、ここは鉄でなく木製です、よく間違えられます、神社の屋根などは反りの形が命です
扁額には「石井大明神」と以前と同じ字体で作りました、「石」の字を良く見ると点がうってあります、おそらく字画を考えてそうしていたのだと思います、今回も点を入れました
赤ろ黒のコントラストは周りの景色を一新させました、決して派手ではないですが、落ち着きがあるようで主張もしている、氏子さんたち自慢の鳥居になったと思います
防火水槽の撤去工事が始まりました
6月20日(火)から防火水槽の撤去工事です
神社本庁の境内地模様替えについての承認がおりました
6月16日付にて、神社本庁より承認を戴きました
神社庁、支部を経由して6月27日に郵送にて到着、無事に鳥居の建設に向けて工事が進められそうです